「螢」


次の文章を読んで、後の問に答えよ。


 高校を卒業して東京に出てきた時、僕のやるべきことはひとつしかなかった。あらゆるものごとを深刻に考えすぎないようにすること−それだけだった。僕は緑のフェルトを貼ったビリヤード台や、赤いN360や、机の上の白い花や、そんなものはみんな忘れてしまうことにした。火葬場の高い煙突から立ちのぼる煙や、警察の取調べ室においてあったずんぐりとした文鎮や、そんな何もかもをだ。はじめのうちはそれで上手くいきそうに見えた。しかし僕の中には何かしらぼんやりとした空気のようなものが残った。そして時が経つにつれてその空気ははっきりとした単純な形をとりはじめた。僕はその形を言葉に置きかえることができる。こういうことだ。
 [A]
 言葉にしてしまうと嫌になってしまうくらい(ア)ヘイボンだ。まったくの一般論だ。しかし僕はその時それをことばとしてではなくひとつの空気として身のうちに感じたのだ。文鎮の中にもビリヤード台に並んだ四個のボールの中にも死は存在していた。そして我々はこれをまるで細かいちりみたいに肺の中に吸い込みながら生きてきたのだ。
 僕はそれまで死というものを完全に他者から分離した独立存在として捉えていた。つまり「死はいつか確実に我々を捉える。しかし逆に言えば、死が我々を捉えるその日まで、我々は死に捉えられはしないのだ」と。それは僕には(イ)シゴクまともで論理的な考え方であるように思えた。生はこちら側にあり、死はあちら側にある。
 しかし僕の友だちが死んでしまったあの夜を境として、僕にはもうそのように単純に死を捉えることはできなくなった。死は生の対極存在ではない。死は既に僕の中にあるのだ。そして僕にはそれを忘れ去ることなんてできないのだ。何故ならあの十七歳の五月の夜に僕の友人を捉えた死は、その夜僕をもまた捉えていたのだ。
 僕ははっきりとそれを認識した。そして認識すると同時に、それについては深刻に考えまいとした。それはとてもむずかしい作業だった。(ウ)何故なら僕はまだ十八で、ものごとの中間点を求めるにはまだ若すぎたからだった。


*ビリヤード台や・・・机の上の白い花や(以上太線) 主人公と友人とは、よく学校帰りに(学校をサボって)ビリヤードをした。いつものようにビリヤード場で四ゲームほど玉を突いた日の夜、友人は、N360(自動車)の排気パイプにゴムホースをつなぎ、車の中に引きこんで排気ガスで自殺した。遺書もなく、思いあたる動機もなかった。新聞に小さな記事が載り、教室の机にはしばらくの間白い花が飾られた。



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