「ノルウェイの森」への想い 〜あとがきにかえて〜



高校から大学にかけて、僕には一人の大切な友人がいました。
その友人は僕にとっては特別な存在でした。
お互いに相手の持つ心の病、弱さ、陰・・・ そういったものを知りながら認めあって付き合っていける、そういう関係だったのです。
また彼は、僕の周囲で村上春樹について語り合える唯一の人間でした。
彼も僕も「ノルウェイの森」が最も好きな村上作品でした。

僕と彼はその当時お互いの心のひずみを照らし合うことで心の平衡を保っていたような気がします。
逆にそうしないと崩れてしまうことをお互いに気づいていたのかも知れません。
二人だけの、羊水世界を築き上げていたのです。
ところがある日、その彼と些細なことで喧嘩をしてしまいました。
その彼は高校から同じ大学に入ったただ一人の知己で、アパートもすぐ近くに借りて住んでいて毎日のように行き来していたのですが、それ以来顔を合わせることもしなくなってしまいました。
僕もその件でひどく傷ついていたので変に意地を張ってしまい、自分から謝ることがなかなかできませんでした。
(後に彼の両親から聞いた話によると)心の平衡を保てなくなった彼は内面的な方に深く深く落ち込んでいってしまい、僕のほうは逆に表層的に生きることで毎日をやり過ごしていました。

数ヵ月後、彼の死を知らされた瞬間の記憶は今でも僕の身体に刻印となって刻み残されているかのようです。
高校の別の友人からの電話でした。
「xxxが、自殺したんだよ・・・」
最初僕は「・・・冗談だろ。」と反射的に聞き返しました。
もちろんその友人が冗談でそんなことを言うような人ではないことは分かっていました。
彼は森の中で、直子と同じ手段で自らの命を絶ってしまったのです。
僕はそれからしばらくの間、僕が開けてしまった彼の心の闇についてうつろな頭で考え続けました。

彼の葬式で、僕は彼の両親に彼を置きざりにしてしまったことを詫びました。
嗚咽しながら、殆ど言葉にならないような言葉で。
彼の両親は、そんなに自分を責めてはいけないよ。君に何の原因もないんだから。と言ってくれました。
しかし今でも僕は自分自身に許しがたいものを感じつづけています。
一方で、やはり彼は今でも僕にとってかけがえのない存在だし、その彼の失われた時間の分まで生きることを強く決意するようになりました。


「おいキズキ、と僕は思った。お前とちがって俺は生きると決めたし、それも俺なりにきちんと生きると決めたんだ。お前だってきっと辛かっただろうけど、俺だって辛いんだ。本当だよ。
俺は今よりもっと強くなる。そして成熟する。大人になるんだよ。そうしなくてはならないからだ。俺はこれまでできることなら十七や十八のままでいたいと思っていた。でも今はそうは思わない。俺はもう十代の少年じゃ無いんだよ。俺は責任というものを感じるんだ。なあキズキ、俺はもうお前と一緒にいた頃の俺じゃないんだよ。俺はもう二十歳になったんだよ。そして俺は生きつづけるための代償をきちっと払わなきゃならないんだよ。」


「ノルウェイの森」は他の作品とは違い、今の僕には好きとか嫌いとかで言い表せるものではありません。
僕の体の一部。生活の一部。人生の一部となっているような気がします。
孤独に耐えられなくなった時、渇いた空虚感に心が支配されてしまった時、彼を襲った闇が僕の心にまで入り込もうとしている時、僕は死んだ友人のことを思いながら「ノルウェイの森」を読み、そこから今を生き抜く最小限の力を吸収するのです。