Location 解説




<寮>

 この寮を訪れたときの不思議な感覚は上手く言いあらわせません。初めて来たのに、はるか昔に住んでいた場所を訪れて懐かしく思うような感覚。ずっとここのことは知っていたんだと思える感覚。そして悲しい過去の記憶がふつふつと湧いてくるような感覚。今までに感じたことのない、脳の中で今まで眠っていた部分が揺り起こされるような感じでした。
 "僕"の住む寮が"和敬塾"であることは、"はじめに"に書いたように明らかです。一応、ここでは私なりの検証をしてみたいと思います。
 この和敬塾は目白にあるのですが、まさに「都内の見晴しの良い高台」にあります。「敷地は広く、まわりを高いコンクリートの塀に囲まれて」います。建物の配置もほぼ作品に記述されている通りです。「窓のカーテンはどの部屋も同じクリーム色」です。「テニス・コート」もあります。なんとあの「国旗」まであります。螢を放すシーンにあるように、屋上からは「右手には新宿の街の光が、左手には池袋の街の光が見え」ます。"僕"は緑の家である小林書店に行くときに寮から都電の駅まで歩きますが、まさに和敬塾から歩いて10分以内の所に都電の"早稲田駅"があります。もちろん「男子寮」です。そして、「東大」の「永沢さん」や「ある国立大学」の「突撃隊」のように色々な大学の学生さんが実際に入寮できます(要するに、特定の大学の寮ではありません)。そして何より村上春樹氏御自身が早稲田大学文学部に入学された際、この和敬塾に半年程いたのです。
 ちなみに作品内では「「教育の根幹を窮め国家にとって有為な人材の育成につとめる」、これがこの寮創設の精神であり」とありますが、実際の和敬塾の寮創設の精神は、「人類社会に秩序と幸福をもたらす根本の力は、社会の中核となり、指導者となるべき人材である。しかし我が国の大学教育の現状は知識に重点を置き、教育本来の目的である徳性を培う教育が行われていない。この点を深く憂慮し、ここに日常の共同生活を通じて、優れた社会人となるに必要な豊富な知性と徳性を兼ねた人材を育成するためにこの寮を設立した」です。村上春樹氏は要約しただけですね(笑)。
 この寮で"僕"は「永沢さん」や「突撃隊」と出会い、「直子」に手紙を書き、「緑」と待ち合わせしたりしたんだなと思うと非常に感慨深いものがあります。ここがまさに「ノルウェイの森」の出発地点なのです。寮内には北棟・東棟・南棟・西棟の四棟があるのですが、作品中に「国旗を掲揚するのは東棟(僕の入っている寮だ)の寮長の役目だった。」とあるので東棟を撮影しました。
 
また、寮の近くには「村上朝日堂」の"「引越しグラフィティー」(3)"にも出てくる村上春樹氏が頭を強打した坂(胸突坂)があります。

(注)和敬塾は2004年に新たな棟の増設が行われ、現在の建物の配置は多少異なるものとなっています。

「正門」

「続・正門」

「東門」



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<四ッ谷の土手>

 「僕と直子は四ツ谷駅で電車を降りて、線路わきの土手を市ヶ谷の方に向けて歩いていた。」とあります。四ツ谷駅と市ヶ谷駅の間には、線路を挟むようにして東側の土手と西側の土手があります。はたしてどちらの土手が正しいのでしょうか?
 ヒントは作品内に三つあります。「鮮やかな緑色をした桜の葉が風に揺れ、太陽の光をきらきらと反射させていた」「土手の向こうに見えるテニス・コート」「並んでベンチに座った二人の修道尼」の三つです。
 まず「桜の葉」の記述についてですが、東の土手は桜の名所になっているくらい桜の木が多いのに対して西の方は土手の上には細くて小さなものが数本あるのみです。ただ、西の土手に関しては土手の下に多くの桜の木があります。しかし、記述では桜の葉の向こうに太陽が存在している、すなわち土手の上にある桜の葉を見上げている記述なので土手の下の桜は関係がありません。よって東の土手の可能性が高いことになります。
 次に「テニス・コート」に関してですが、テニス・コートは西の土手の下(線路側)にあります。西の土手からこのテニス・コートを見るとすぐ下に見下ろした感じで見えるので、「土手の向こうに見える」という記述はいささかおかしいことになります。東の土手から見た場合は土手の先の向こうに遠目に見えるので、まさに「土手の向こうに見える」感じになります。
 最後の「ベンチ」に関しては西の土手の上には無く、東の土手には幾つも並んでいます。
 以上の事実から、"僕"と直子が歩いたのは東側の土手であることが判明しました。
 ちなみに、四ッ谷駅の麹町口を出たところにある「ふるさと文化の散歩道」という看板で東の土手は「飯田橋〜赤坂間の掘とその土手」と散歩コースに紹介されていますが、西の土手は何の散歩コースにも指定されていません。

「西側の土手」

「東の土手の最寄りの四ッ谷駅麹町口」



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<お茶の水の坂>

 "僕"と直子は「飯田橋で右に折れ、お堀ばたに出て、それから神保町の交差点を越えてお茶の水の坂を上り、そのまま本郷に抜けた。」というように歩きます。この散歩コースを地図で見てみると、神保町の交差点を越えて本郷に抜けるには一回右に折れなければならないことが分かります。
 水道橋駅とお茶の水駅の間では神田川に沿って線路が走っています。この神田川沿いに"お茶の水坂"という坂があります。神保町の交差点を越えた後、右折してこの坂を通過し、大通りに出たところで左折すると本郷に抜けられることになるのです。しかもこの坂は水道橋からお茶の水に向けての上りですので、「お茶の水の坂を上り」という記述に一致します。以上のことから作品内の「お茶の水の坂」とはそのまま「お茶の水坂」である可能性が高いと考えられます。
 ちなみにこの「お茶の水坂」は、大きな地図には載っていませんが東京の散歩コースなどを紹介する本ではよく出てくる名スポットです。すぐ横に神田川が流れています。水道橋駅で降りてこの坂を上りお茶の水駅まで散歩するのが楽で良いでしょう。

(注)このコースに関しては、"お茶の水の坂="駿河台の坂"とする考えもあります。あくまで私が紹介しているのは一つの可能性であることに御留意ください。

「坂を下から見上げる」

「坂を上から見下ろす」



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<駒込駅近くのそば屋>

 ここを取材する頃(新宿、失敗した"東京学生交流会館"に続いて三ケ所目)にはかなり本格的になってきていて、左手にボロボロになった「ノルウェイの森」の単行本、右手にメモ帳とボールペン、背中に資料の入ったリュックを背負いカメラをたすき掛けという出で立ちで地元に詳しそうな人を見つけては聞き込み調査をしていました。かなり怪しい人と思われていたことでしょう。いきなり知らない人から「ここは昔、都電が走っていましたか?」とか、「このお店には1968年当時、TVがありましたか?」なんて聞かれたらどんな感じがするんでしょうね(笑)。新手の宗教の勧誘か何かと間違われていたのかも知れません。怖がらずに快く情報を提供して下さった皆さま、本当にありがとうございました。ま、それはさておき検証の方に入りたいと思います。
 "僕"と緑は四谷から駒込まで歩き、「駅の近くのそば屋」に入ります。電話帳を調べたり歩き回って地元の人に聞いたりしてみたところ、駒込駅周辺には4つのそば屋がありました。そのうち2つはカウンターのみの立ち食いそば屋であるために候補から外れます。残ったのは、駒込駅の南側にある"六義園 長寿庵"さんと北側にある"そば処 総本家 小松庵"さんでした。共に本郷通り沿いにあり駒込駅からの距離も両者一歩も引けを取りません。
 そこで私は「TVのニュース」に目を付けました。TVの無い方が却下されるというわけです。はたして、開店前にジロジロとのぞき込んでみると、"長寿庵"さんの方にはTVがあり、"小松庵"さんの方には無いじゃないですか!これで決まりかと思われたのですが、念のため開店準備中の"小松庵"さんのご主人に尋ねてみると、「今は無いけど、1968年当時にはあった。」というのです。これで調査は振り出しです。
 「う〜む、どうしたものかいなぁ・・・」と、二件の間を行ったり来たりしながら歩いていたのですが、思わぬところで決着がつきました。それぞれのご主人に尋ねてみたところ、"小松庵"さんの方は大正から今の場所に店を構えていたのに対して"長寿庵"さんの方は昭和52年からだと言うのです。「昭和52年!?え〜と、1977年だ!作品中で"僕"と直子が訪れるのが1968年だから、その当時はまだ"長寿庵"さんの方は存在してないことになる!」かくして解決したのでした。
 私は"小松庵"さんで、おいしいおそばをご馳走になり、店のご主人に"かくかくしかじかの理由でこのお店を訪れたのですが写真を撮らせて頂きたい"というような感じで頼んだのですが、快く承諾して頂きました。ご主人自身、村上春樹氏について結構詳しかったので、「どこのページですか?へ〜、うちですよ。これ!」と驚いていらっしゃいました。自分が村上春樹の作品の店で働いていたことに気付くって面白い体験でしょうね。ウェイトレスさんも興味をお持ちになられたようで、「面白〜い!」と、"僕"と直子のシーンを読んでいらっしゃいました。お店の従業員の方たちは仲がよろしくて、「この店が村上春樹の小説に出てるんだってさぁ〜!」と、みなさんで盛り上がっていたようです。一応お店のご主人に「この周辺で1968年当時はあったが今は潰れてしまったおそば屋さんってありますかね?」と尋ねたところ、そのような店は無いとのことでした。
 お店自身も非常にイメージに近い感じで、僕が開店直後に訪れたからかクラシックの流れる静かな感じのお店でした。私は写真を何枚か撮らせて頂いた後、感じの良いご主人にお礼を言って店を後にしたのでした。

「そば処 総本家 小松庵」

「お店の外観」

「お店の中・別アングル」



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<港へ向かう坂道>

 "僕"とキズキは神戸の高校に通っていたことが作品中に記述されています。さらに、「学校を出てぶらぶらと坂を下って港の方まで行き」とあることから、高校は神戸港から坂を上ったところにあることが分かります。
 神戸の地形を考えると分かるように、神戸港から坂を上るとなると北の方角になります。そしてまさに神戸港から北に向かい、坂を上った山の中腹にあるのが村上春樹氏の母校である神戸高校なのです(マップ)。
 この神戸高校、公立高校でありながら非常に趣きのある立派な作りで、私立高校と見まがうほどです。また校舎からは神戸の港を望むことができます。こんな高校で青春時代を送れたなら……と心底羨ましく思えました。
 私が訪れたのは日曜日で、周りには民家も殆どないため、校舎は静寂につつまれていました。ただ音楽室の方より、部活動と思われる女性のコーラスの響きが微かに聴こえてきました。遠くに海を眺めながら、都内の狭苦しい男子高校を選んでしまったことを今さらながらに悔やんでしまったひとときでした(笑)
 神戸高校から港へ向かう坂道にて撮影を行いました。校舎の屋上から海を写した写真は"「国境の南、太陽の西」の風景"の方で御覧下さい。

「神戸高校の校門」



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<神戸の街>

 「神戸の街」ということで、神戸湾を含めた街の眺めを撮影しました。写真は東海道新幹線の新神戸駅向かいの新神戸オリエンタルホテル(35階)より撮影しました。



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<大学の講義室>

 "僕"の通う大学についてですが、作品中には以下のことが示されています。
(1)都電の駅の近くにある。(2)近くに古本屋街がある。(3)私立大で文学部がある。(4)大学紛争が盛んだった。(5)寮(目白の"和敬塾")から吉祥寺に引っ越したことで、大学までが遠くなった。
 これらの記述から説明の余地も無く早稲田大学であることが分かります。
 "僕"は文学部で演劇を専攻していると記述されていますが、早稲田で演劇を専攻できるのは第一文学部のみですので早稲田大学第一文学部演劇科ということになります。そして村上春樹氏御自身も早稲田大学第一文学部演劇科卒業なのです。"僕"と村上春樹氏のシンクロ率はここまで高いのです。
 このシンクロ率についてもう少し検証してみましょう。作品内に以下の記述があります。「四月半ばに直子は二十歳になった。僕は十一月生まれだから、彼女の方が約七ヶ月年上ということになる。」これは1969年の四月のことなので"僕"は1949年の11月生まれということになります。一方、村上春樹氏は1949年1月12日生まれの早生まれです。すなわち学年でいうと村上春樹氏は"僕"の一つ上になります。最初私はこの一年という微妙なズレの意味が分からなかったのですが、村上春樹氏の経歴を調べていて謎が解けました。村上春樹氏は早稲田に入るときに一浪していたのです。それに対し"僕"は大学二年生で二十歳になることから現役であることが分かります。要するに、村上春樹氏が1968年に早稲田大学第一文学部演劇科に入学したように"僕"も1968年に早稲田大学第一文学部演劇科に入学し、村上春樹氏が和敬塾に入ったように"僕"も和敬塾に入っているのです。「ノルウェイの森」の"僕"は全作品の中で最も村上春樹氏御自身の血が強く流れている主人公なのではないでしょうか?私はだからこそ実際にある場所が舞台になっているし、そこを訪れることで"僕"(ほぼ=村上春樹氏)と共鳴できるような気がするのです。

 なんだかここで終わってしまいそうな書き方ですが、まだ続きます。撮影箇所は早稲田大学文学部の34-151教室で行いました。"僕"と「突撃隊」との最初の自己紹介のやりとりの場面で、講議要項にシェークスピア、ラシーヌ、イヨネスコの名前が書いてあったと記述されています。私は2000年と2001年の講議要項で演劇科の授業内容を調べたのですが、ラシーヌ、イヨネスコの名前は無く、シェークスピアの授業のみが2つありました。そのうち片方の授業は新築の講議棟で行われていたので古い講議棟でやる授業の方の教室、すなわちこの34-151教室を撮影しました。

#ちなみに、この文学部キャンパスは目白の和敬塾から歩いて15分ほどのところにあります。

「文学部掲示板前」

「掲示版には演劇科のコーナーも!」

「廊下」

「作品にもよく登場する文学部の図書館」



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<寮のロビーのTV>

 "僕"の心情がよく伝わってくる名シーンです。和敬塾で"僕"の住んでいた東棟の一階にはやはりロビーのTVがありました。(これは建物の内装全般について言えることですが)結構新しくなっているような感じがしました。



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<寮の給水塔の上>

 「ノルウェイの森」の元となった短編「螢」でのラストシーンです。前述の和敬塾で撮影しました。寮内に北棟・東棟・南棟・西棟の四棟があるのですが、作品中に「国旗を掲揚するのは東棟(僕の入っている寮だ)の寮長の役目だった。」とあるので迷わず東棟の屋上に上りました。まさに「右手には新宿の街の光」が「左手には新宿の街の光」が見えます。ちゃんと「誰かがとりこみ忘れた白いシャツが洗濯ロープにかかって」います。私は「僕は屋上の隅にある鉄の梯子を上って給水塔の上に出た。」の通りに給水塔の上に出ます。実際は給水塔と屋上へ出る出口の塔とが同じ高さで隣り合っていて、鉄の梯子が付いているのは後者の方です。作品中では「僕は瓶のふたを開けて螢をとりだし、三センチばかりつきだした給水塔の縁の上に置いた。」「僕は手すりにもたれかかったまま、そんな螢の姿を眺めていた。」とあります。私は「手すり」を左に、「給水塔」を奥にしたアングルで撮影しました。「まるで失われた時間をとり戻そうとするかのように、給水塔のわきで素早く弧を描いた」螢をイメージしながら。動画の写真では、給水塔のさらに向こうに南棟が見えます。
 "僕"と自分をシンクロさせることができる一番の場所が、東京の真ん中にあるこの狭い空間だと思います。



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<都電>

 作品内には「いちばんうしろの席に座り、窓のすぐ外を通りすぎていく古い家並みを眺めていた。」とあります。私は"僕"と同じように「いちばんうしろの席」に座り、「窓のすぐ外を通りすぎていく古い家並み」を撮影したのでした。もちろん方向は"早稲田"→"大塚駅前"方向です。

「和敬塾から最寄りの早稲田駅」

「早稲田駅の構内」

「都電内からの眺め」



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<小林書店>

 緑の家である小林書店に関しては、作品内に「豊島区北大塚なんて学校中探したって私くらいしかいやしないわよ」という住所に関する記述があります。大塚に高校があった私にとって、この記述は大きなヒントでした。なぜなら北大塚にある本屋は二件しかないからです。しかもその片方は都電の"大塚駅前"駅から歩いて1分程度のところなので「十分ばかり歩いて」の記述に反します。一応、本当に北大塚に書店が二件しかないのか電話帳で確かめてみてビックリしました。一件しか見つからないのです。地元の人に聞いてみると、片方の本屋は最近ラーメン屋になってしまったということでした。まぁ、そっちの方は駅から歩いて1分の方だったので別にいいのですが。
 今は北大塚に一件しかなくなってしまった本屋"立美堂"に関しては、「あまり見栄えのしない大通り」を歩くという条件も満たしています。もちろん近くにはこれまた北大塚に一件しかない「ガソリン・スタンド」があります。ただ、気になるのは、「ガソリン・スタンドの角を右に曲がると」という記述です。地図を見てもらえば分かるとおり、「ガソリン・スタンドの角を右に曲がる」のは場所的におかしい(というか、そもそも駅から行くと右に曲がれない)からです。もしかしたら当時は別の場所にガソリン・スタンドがあり、その角を右に曲がったところに別の書店があったのかも知れません。可能性としては限り無くゼロに近いですが。
 やや不満を残しつつも現時点で最も条件を満たしている"立見堂"、じゃなくて"立美堂"を撮影し、帰路についたのでした。

「都電の"大塚駅前"」



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<大学構内>

 早稲田の文学部のキャンパスです。作品中では「キャッチボールをしたり」という記述がありますが、現在ではこんな看板が。



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<朝の東京駅>

 作品には「東京駅に行き」「いちばん早い「ひかり」に文字どおりとび乗り」とあるので、"いちばん早い"感を出すために"こだま"のグリーン車で撮影しました。もちろん東京駅です。「いちばん早い「ひかり」」を撮影する気力はありませんでした(笑)



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<阿美寮>

 京都に在住のRYUさんより、詳細な阿美寮探索レポートといただきました。ここに深い感謝の意を表したいと思います。完成されたリサーチでしたので、原文のままアップしました。以下のリンクよりお願いいたします。

「阿美寮探索レポート(by RYUさん)」はこちらから







<「ノルウェイの森」>

 ノルウェイの森の写真ではありません(笑)。「深い森」のイメージに近い写真を妹に提供してもらい、その中から選びだしました。スキャン画像です。



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<海岸の病院>

 高校時代に直子が入院した病院に関しては、作中では「海岸の病院」としか書かれていません。しかし、このシーンの元になった短編「めくらやなぎと眠る女」にはさらに詳しい記述があります(「めくらやなぎと眠る女」と「ノルウェイの森」の関係については、短編集「レキシントンの幽霊」の中で触れられています)。

 「我々は病院の門をくぐる前に海岸べりにバイクをとめ、そのあたりの木かげに寝転んで一息ついた。海はその頃には既に汚れていたし、夏も終りに近かったので泳いでいる人の数は少かった。」

 神戸・芦屋・西宮においてかつて泳げた海岸というと、香櫨園の浜と(今は埋め立てられてしまっている)芦屋の浜が挙げられます。香櫨園の浜については「辺境・近境」において「僕は子供の頃、夏になれば毎日のようにそこで泳いでいた」と書かれています。この香櫨園の浜と(かつての)芦屋の浜は隣接しているのですが、この境に存在するのが撮影を行った回生病院です(マップ)。堤防のすぐ内側にあり、まさに「海岸の病院」です。看護婦の方に訊ねてみたところ、かつては作品の記述にある「夾竹桃」もあったそうです。非常に趣きのある石造りの病院でした。ちなみにこの回生病院は「火垂るの墓」の舞台になったことでも有名です。



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<レコード屋>

 "僕"のバイト先である「新宿のレコード店」に関しては、「店の前に何人か集まって踊ったり、シンナーを吸ったり」という記述から比較的人通りの多い通りに面していることが分かります。他には「店のとなりには大人のおもちゃ屋」「筋向かいのゲーム・センター」「公衆電話」等の記述があります。また、「近所のブティック」の記述からも比較的華やかな場所にある(少なくても裏路地ではない)ことが分かります。村上春樹氏は歌舞伎町ならば歌舞伎町と記述する(単行本、上巻P152)ので歌舞伎町で無いと思われます。以上を考えあわせると新宿3丁目あたりが妥当です。
 新宿3丁目20-5 に「新星堂」があります。比較的大きな道(しかも車は入れない)に面していて、筋向かいにはかつてゲーム・センター"CARROT"がありました。歩行者天国のない夜ではこの通りかアルタ前ぐらいしかパフォーマンスのできる場所が無く、踊り等のパフォーマンスもよく行われています。もちろん公衆電話も近くにあります。残念ながら店の隣は「大人のおもちゃ屋」ではありません。ただ、同人誌のあやしい店なので当たらずとも遠からずでしょう。この手のお店は回転が早いのでかつては「大人のおもちゃ屋」があったとしても何の不思議もありません(笑)

「もう一ケ所入り口があります」



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<レコード屋(改)>

 ほっぺさんの情報のご提供により、村上春樹氏が学生時代に新宿のレコード店で実際にアルバイトをしていたことが分かりました。ほっぺさん、ありがとうございました。以下はその引用文です(村上朝日堂の「僕の出会った有名人(2)」より)。

 「学生時代、新宿の小さなレコード屋でアルバイトしていた。たしか一九七〇年のことではなかったかと思う。(中略)このレコード屋は武蔵野館の向いにあって、今はファンシー小物の店になっている。当時はまだ武蔵野館はなかった。隣のビルの地下には「OLD BLIND CAT」というジャズ・バーがあって、仕事のあいまによくそこで酒を飲んだ。」

 この記述から容易に場所を特定することが出来ます。なぜなら「OLD BLIND CAT」は未だに健在だからです。隣は確かに「ファンシー小物の店」ですが、2002年2月2日現在では閉店セールが行われていました。
 ただ、これは村上春樹氏がこの場所で働いていたというだけで、実際にこの場所が作品中に出てくるレコード店の場所なのかは不確かです。作品中の「筋向いのゲーム・センター」があるべき場所は今は武蔵野館になってしまっているし、「公衆電話」もどこにも見当たらないからです。もしかしたら他の店(前述の「新星堂」など)をモデルにしている可能性は否定できません。
 しかし作品中には次の記述があります。「店のとなりには大人のおもちゃ屋があって、眠そうな目をした中年男が妙な性具を売っていた。」まさにこの記述通りに、このファンシー小物の店の隣にはアダルト系ショップがあったのです!恐る恐る中に入ってみると、今では大人のおもちゃこそ売っていなかったものの、店内にはビデオや本の類いの物が並べられていました。残念ながら店員さんは「眠そうな目をした中年男」ではなく、若いお兄さんでした(笑)。というわけで、村上春樹氏自身がバイトをしていたレコード店=作品中のレコード店であることが判明したわけです。

 今ではレコード店ではなくなってしまっていて向いも武蔵野館になってしまったので、場所的にはこちらのほうが正解であるのには違いないのですが、現時点で作品中の記述に最も近い雰囲気の場所は「新星堂」の方ではないかということで、両者を置いておくことにしました。

「隣には "OLD BLIND CAT"」

「もう一方の隣にはアダルト系ショップ」



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<中庭の国旗>

 なんと和敬塾には、未だに国旗があるんですねぇ!最初に見たときには思わず笑い出しそうになってしまいました。「中野学校」と「学生服」の「不気味きわまりない二人組」は現役で頑張っているのでしょうか?(笑)
 作品中には国旗が「どの寮棟の窓からも見えるようになっている。」とありますが、最初この意味が分かりませんでした。寮の建物の配置図を見ると不可能だからです。しかし実際に行ってみてその意味が分かりました。異常に高いのです!国旗のポールが。
 私が訪れたのは夜だったにも関わらず国旗は掲げられたままでした。作品中では「夕方の国旗降下」と書いてあるので、あれ?と思いました。村上春樹氏が「夜に働く人々が国家の庇護を受けることができないというのは、どうも不公平であるような気がした。」なんて書いたので反省されたのでしょうか?ただ単に下ろす時間が遅くなっただけで、私が訪れた時間にはまだ下ろしてなかっただけかも知れません。真相や如何に??



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<DUG>

 ここに関しては、そのまま作品中に「DUG」と記述されているので、説明の余地は無いでしょう。村上春樹氏御自身もよく訪れていたそうです。
 当時(1969年)は紀ノ国屋近くでも今とは別の場所にあったのが、現在の場所に引っ越しをしたとのことです。内装は当時のままだそうです。「new DUG」と「DUG」(姉妹店)が同じ通りに並んであるのでややこしいですが、当時の「DUG」の内装を残しているのは現在の「new DUG」の方ですのでお間違い無く。もちろん写真も「new DUG」で撮影しました。
 残念なのは、作品中でかかっている「ハニサックル・ローズ」の入っている「セロニアス・モンク」のCDや「サラ・ヴォーン」のCDは現在お店に無かったということです。「ウオッカ・トニック」「トム・コリンズ」「ウィスキー・ソーダ」「ピスタチオ」は現在でも注文可能です。

「店の入り口」

「入り口を入ると地下への階段が」



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<ウインドウ・ショッピング>

 "僕"と緑は「DUG」を出てウィンドウ・ショッピングをします。これだけの記述では場所を特定することは不可能なんですが、「DUG」の近くで大通りに面していて、1968年に存在していて、ウィンドウ・ディスプレイが目立つデパート"伊勢丹"があるのでそこで撮影をしました。伊勢丹の新宿本館は昭和8年にほぼ今の形で創業され、当時からウィンドウ・ディスプレイはあったそうです。
 「DUG」を出て伊勢丹の前を歩き作品の内容通りに新宿駅に向かうと、大通りに沿って"コ"の字に歩くことになります。

「さらに北側」



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<大学病院>

 緑の父親はお茶の水の大学病院に入院しています。お茶の水にある大学病院は、東京医科歯科大学付属病院、順天堂医院、日本大学付属病院の3つです。二人がお茶の水駅を降りてから延々7ページ(単行本)にわたる会話が続いた後「我々は何処に向かっているんだろう、ところで?」と聞くところから、東京医科歯科大学付属病院と順天堂医院は否定されます。さすがに駅から見えるこの二つの病院に対してこのやりとりはおかしいでしょう。また、「模擬テストだか予備校の講習だかに行く中学生や高校生でいっぱい」「そんな学生たちの人ごみの中をするすると抜けていった。」とあることから、3つの病院の中で唯一学生街方面にある日本付属大学病院が正しいことが分かります。緑の父親は脳腫瘍で入院しているとありますが、もちろん日本大学付属病院には脳神経外科があります。地下に食堂があるという条件も満たされています。ということで緑の父親の入院する大学病院とは日本大学付属病院であることが判明したわけです。
 しかしここで大きな矛盾点が生じてしまいました。実際に駅から二人の会話部分のみを適当なスピードで音読し続けながら歩いてみると、7ページ中の3ページ目が終わったところで大学病院の入り口に着いてしまったのです。まぁ、村上春樹氏も実際に病院まで歩きながら会話量を検証して書いているわけなんて無いでしょうから良しとしましょう。他に大学病院も無いですしね。
 撮影は引用した会話が交わされた食堂で行いました。私は天気の良い日曜日に時間外面会口から入り、電気の消えた廊下と階段を地下二階まで下り、「窓がひとつもない地下のがらんとした」食堂でカレーライスを食べながら撮影をこなしたのでした。この日の取材はかなりハードで誰かに付き合ってもらうわけにはいかなかったので、独りで病院の地下でまずいカレーライスを食べているとかなり切なくなってきました。
 ちなみにこの病院は1963年に改築され現在の形になっているため、"僕"が訪れたとき(1969年)には現在と変わらない外観だということになります。

「もう半分」

「時間外入り口」



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<新宿の雑踏>

 作品中では「紀ノ国屋書店でフォークナーの「八月の光」を買い、」と続くので、紀伊国屋が左前方に見えるアングルで撮影しました。村上春樹氏御自身、時々紀ノ国屋に行かれるそうです。

「紀伊国屋にあるフォークナーの「八月の光」(見えるかな?)」

「歌舞町の雑踏」



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<映画館>

 「新宿でも有数のうらさびれた映画館に入って、成人映画三本立てを見た。」と記述されています。この写真の場所のすぐ近くにもその手の映画館が並んでいる場所がありますが、大通りに面しているため「うらさびれた」という表現にマッチしません。その点でこちらの昭和館地下劇場の方は裏路地にあるため「うらさびれた」感100%です。ただ、中で「わけのわからない臭い」が本当にするのかどうかは未確認です(笑)

(注)昭和館は2002年に改装されてしまい、現在はこの写真に見られるような面影は無くなってしまっています。

「昼間の昭和館」



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<新宿駅の有料トイレ>

 「新宿駅の有料トイレ」といったらここしか無いです。ちなみにこの消費税5%のご時世にも関わらず100円をキープし続けています。いつか110円に値上げしてしまうのではないかというのが悩みの種です。恐らくすぐに120円まで上がってしまうことが予想されるからです。トイレを我慢しながら小銭を3枚も用意するのは至難の業でしょう。100円でがんばり続けて欲しいものです。



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<寮>

 に"僕"の部屋のあった棟ということで東棟の写真を載せましたが、実は東棟は改築されているようで、他の棟の方が造りとしては古いのです。「窓のカーテンはどの部屋も同じクリーム色」なのは他の棟の方になります。恐らくみなさんのイメージにもより近いものと思われます。
 ということで、他の棟の写真を一挙公開したいと思います。どこをどう撮ったのかは地図の方を見てもらえると分かると思います(動画に使用した写真は、南棟の南側で奥にセンターホールが見えます)。

「西棟東側」

「北棟北側」

「本館南側」



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<吉祥寺のジャズ喫茶>

 最初はもちろんちゃんと吉祥寺のジャズ喫茶行こうと思っていたんですけどね。店を特定する証拠がなかったためにモチベーションが低く、スキャンで済ませてしまいました。
 このお店"メグ"はジャズ喫茶の町・吉祥寺のジャズ発祥の地です。昭和45年創業で吉祥寺のジャズ喫茶の中で最も古いお店の一つです。ジャズ喫茶全盛期の70年代のスタイルを貫いています。私語厳禁の硬派なオーナーです。ただ雑誌の内容書いてるだけです(汗)
 けど、村上春樹氏のまさに訪れそうなお店です。多分作品内で登場するお店はここでしょう!<オイ!



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<庭の桜>

 本当は春に吉祥寺のどこかのお家の庭に咲く桜を撮りたかったのですが、そこまですることに疑問を感じ、スキャンで済ませてしまいました。はっきり言って、最後の撮影箇所である"吉祥寺編"に入ってからは撮影の方は手抜き気味です。というか、もっとはっきり言うと吉祥寺には行っていません、ハイ。吉祥寺の色々な資料を提供してくれた芸術家の卵の妹に「時間をかけなければそれなりの作品しかできないわよ」と言われてしまいました。反省します。
 ちなみにこの写真はその妹が趣味で撮っていたものです。いい写真でしょ?これで許して下さい。



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<文学部の裏出にある小さなレストラン>

 緑に誘われた"僕"は「文学部の裏出にある小さなレストラン」に行き、「春の大学の風景」や、道を歩いている「見るからに新入生という格好をした人々」を眺めます。
 早稲田の文学部キャンパスに隣接しているレストランは一列に5件ならんでいますが、そのいずれからも「大学の風景」や「道」が見えます。しかし調べてみたところこの5つは全て最近にできた店でした。仕方なく私は適当な場所から「大学の風景」と「道」が同時に見えるように撮影をしたのでした。

「小さなレストランが並んでいます」

「文学部前の通り」



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<古本屋街>

 二人は「文学部の裏出にある小さなレストラン」を出た後、歩いて「古本屋をまわって」います。早稲田大学近くの古本屋街といったら早稲田通りでしょう!ということで、早稲田通りの文学部よりJR高田馬場駅側で撮影しました。



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<四月〜五月>

 今回のHPの"裏テーマ"の関係でどうしても必要だったので、このシーンを入れました。作品に出てくるところを撮ったのではないです。さて、私のHPの"裏テーマ"とは何でしょう?お暇でしたら考えてみてください。



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<教室の机>

 早稲田大学文学部キャンパスのことに関しては、に色々書きました。これは「演劇映像研究II」の授業が行われていた文学部の228教室です。



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<デパートの屋上>

 このシーンは「日本橋の高島屋」と作品中に明示してあります。"僕"と緑は地下の食堂で幕の内弁当を食べた後、会話もろくに交わさないまま屋上に向います(ちなみに現在地下で幕の内弁当がメニューにある食堂はありませんでした)。今回は、そのシーンの引用と共に写真を紹介したいと思います。

 「雨の屋上には人は一人もいなかったペット用品売り場にも店員の姿はなく、売店も、乗物切符売り場もシャッターを閉ざしていた。我々は傘をさしてぐっしょりと濡れた木馬やガーデン・チェアや屋台のあいだを散策した。東京のどまん中にこんなに人気のない荒涼とした場所があるなんて僕には驚きだった。緑が望遠鏡を見たいというので、僕は硬貨を入れてやり、彼女が見ているあいだずっと傘をさしてやっていた。
 屋上の隅の方に屋根のついたゲーム・コーナーがあって、子供向けのゲーム機がいくつか並んでいた。僕と緑はそこにあった足台のようなものの上に並んで腰を下ろし、二人で雨ふりを眺めた。」

 従業員の方に尋ねてみたところ、「木馬」と「望遠鏡」は無いとのことでした(もちろん探してもみました)。それ以外の物は全て見つかりました。最後の足台に関してはやや疑問ですが、現在でもかなりの部分が当時のままの状態で保存されていると言ってよいでしょう。
 私は作品通りに雨の日に撮影を行いました。下のフロアの喧噪とこの屋上の静寂さが対照的で、一歩屋上に踏み出してみると突然音のない異空間に投げ出されたような感覚すら覚えました。普段は賑わっているであろうゲーム・コーナーも無造作にカバーをかけられていて、雨ふりの静けさだけがその空間を支配していました。
 静かな雨ふりの日にこの場所を訪れてみれば、村上春樹氏がこのシーンにこの空間を選んだことを誰もが納得すると思います。

(注)高島屋の屋上は2005年に改装されてしまいました。以下はその時のニュースです。

 「子どもの遊び場」「暗い」というイメージがあった百貨店の屋上のリニューアルが進んでいる。東京・日本橋高島屋は大型連休前に35年ぶりに屋上を全面改装した。買い物中に愛犬を遊ばせることができる「ドッグパーク」(400平方メートル)の新設が目玉。他店も屋上刷新のテーマは「コミュニケーション」や「癒やし」だという。「デパ地下」に次いで「デパ屋」にも変化の波が押し寄せている。  日本橋高島屋は園芸店や子ども向けゲームコーナーだった屋上を改装。犬の服や雑貨を販売する店にドッグパークを併設した施設「犬の生活」(500平方メートル)を開いた。買い物中に愛犬を預かり、シャンプー(6300円から)やつめ切り(1575円から)も引き受ける。ドッグパークは会員登録すれば無料。「デパ地下の『噴水効果』だけでなく屋上からの『シャワー効果』にしたい」(高島屋)と来店客増を狙う。



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<新宿駅のホーム>

 作品中には「新宿駅に行って最初に目についた急行列車に乗った。」とあります。新宿駅で主に特急列車が出るのが特急ホームと言われるこの5・6番線です。写真は甲府行き特急"かいじ"です。新宿駅から出ている特急列車は色々ありますが、後に「山陰の海岸」にいることを考えあわせると唯一南西に向かうこの"かいじ"が妥当なのではでしょうか?まぁ何に乗ったかはともかく、このホームで乗ったことだけは確かでしょう。



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<東京駅>

 "僕"は「新幹線」の「東京までの切符」を買って帰っているので、新幹線の改札口から出て中央線("僕"の家のある吉祥寺に停まる)に乗るコースを撮影しました。



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<暗い森の奥>

 これは<「ノルウェイの森」>の頁で直子の心の「深い森の奥」のイメージとして使ったのと同じ画像です。



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<武蔵野の風景>

 レイコさんは「中央線」で「東京駅」から「吉祥寺まで行く電車の中」で「武蔵野の風景」を眺めます。中央線沿線は全てかつての武蔵野ですが、一般的に"武蔵野の風景"というと井の頭公園のような小さな森のような風景のことを指します。しかし中央線の吉祥寺までの間では井の頭公園は見ることができないので、吉祥寺駅の直前で林や遠くの山が見える風景を撮影しました。



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<上野駅ホームのベンチ>

 "僕"とレイコさんは上野駅で別れます。レイコさんは旭川に向かうのですが、東京駅では無くなぜ上野駅なのか?"僕"のアパートのある吉祥寺からなら東京駅の方が近いので新幹線を使うのなら東京駅で別れるはずです。答えは一つ、レイコさんは途中まで新幹線を使って旭川に向おうとしていたのでは無く、上野発の寝台特急"北斗星"もしくは"カシオペア"でまず札幌まで行ってしまおうと考えていたからなのです。私は両特急の発車番線である上野駅の13番線に向かいました。
 このシーンにはホームのベンチが出てきます。ここで問題が!今現在13番線にはベンチは無く、テーブルに4つの椅子が向き合っている待合所が幾つか存在するだけなのです。私はこのベンチからかけ離れたイメージの椅子を撮影するべきかどうかとしばらく迷っていたのですが、シーンの情景に近いものを撮ることを重視して隣の14番線のベンチを撮影したのでした。
 それにしても心に残るシーンですね。日本の名"別れのシーン"十選に入れたいくらいです。ここで泣けないなら人にあらず、というくらいの泣きどころです。

※ピコリさんより、"北斗星"は1988年に開通したものであるとの御指摘を頂きました。ありがとうございました。現在、修正の準備中です。



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<電話ボックス>

 とうとう最後のシーンです。どこにもたどり着かない"僕"の心情が描かれているこの作品にふさわしいラストシーンです。
 このシーンに関しては私の中で大きな発見がありました。注意深く読んでみると、作品内にはただの公衆電話では無く「電話ボックス」と記述されているのです。しかしどこを探しても駅の構内に「電話ボックス」はありません。ボックスではない普通の公衆電話があるだけです。駅員に訪ねてみると「駅の中に電話ボックスなんてないし、あったこともない。」と言うのです(当然といえば、当然か)。私は十年来"僕"は駅の中から緑に電話をかけていたものだと思い込んでいたのですが、実は駅の外だったんですね。
 "北斗星"のホーム(13番線)の最寄りの改札から出て、一番早く駅の外に出られる浅草口から外へ出てみると目の前に電話ボックスがありました!都営バスの"(上野)駅前"の向かいです。「どこでもない場所のまん中」とは上野駅の中では無く、都営バスの"上野駅前"の向かいの電話ボックスの中だったんですね。
 こうして私の「ノルウェイの森」をめぐる小旅行は幕を閉じたのでした。

「別アングル」



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