◆夕陽の冠◆
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夕焼けに染まる、白い頬。淡い髪が金色のようだ。 綺麗だなと、純粋に思った。 長く伸びる影の先は、ただフェンスの向こうへと伸びていた。 「…あれ、越前? 珍しいね、今日一人?」 寄りかかっていた背を、フェンスから離すことなく問い掛けられた。 彼の足下に転がった、彼の鞄。背中の向こうにテニスコートが見える。誰もいない。 「いつも桃先輩と帰ってるわけじゃないっス」 「とか言って、たまに一人で帰ると寒いでしょ」 「なんスかそれ…不二先輩こそ」 「僕?」 聞くまでもなく、判る問いだけど。 不二自身、そんな事など判っただろう。 答はするりと、その唇から落ちた。 「僕は人待ち。手塚がね、引き止めてるみたいなんだ」 多分今、部室に残っているのは手塚と大石と、乾。 中で待ってりゃいいのに、そう呟いたら、『だって邪魔そうじゃない?』と彼が微笑した。 「本当は、そんなこと思ってないでしょ」 高い、昼間の空とは違う。低いような、赤い空。黄昏の昏さ。建物が、黒く陰る。 にこりと微笑む、彼の袖から伸びた腕に、フェンスの影が落ちてそれが何故だか感情に触れる。 「帰らないの? 越前」 引き止めるように話し掛けておいて、それは随分狡い問いかけだ。 気付かずに、通り過ぎて帰れば良かった。 待っている、なんて気付かずに済んだ。 「先輩、後輩虐めんのよくないですよ」 「ええ?」 かしゃん、と不二の指先がかかるフェンス。 鉄の糸に絡んで、爪先が交差した箇所を軽く抉る。 越前を、見ていないようで見て、口の端を上げて眼を細める。 確信犯のようだ。夕焼けさえなければ、そうは思わないかも知れないのに。 この黄昏さえなければ、構わずにさよならを出来たかも知れないのに。 「だから、俺みたいな可愛い後輩、虐めんのよくないですよって」 ふざけたように口にして、伸ばした右足。 伸びる影の上を伝って、大股で三歩。彼の、前へ。 その髪より高い場所へ、掛ける指。軋むフェンス。 「可愛い? 君が?」 「可愛いでしょ?」 「顔は、ね」 側で笑いあう。どっちが、悪いノリだろう。 近づき過ぎた距離を、不二が離そうとして、越前が止めた。 囲うように、片方の手もフェンスに掛けたら“どうするの?”と言いたげに笑われた。 シャツ越しに触れる皮膚の体温も、こんなに近くにあるのに。 交わされる。 「…本当、」 狡いなぁ、言葉を呑み込んで両手をフェンスから放すと、それさえ読んだかのように眼を細める不二がいる。 少しは動じてもいいのに、彼の頬が赤いのは全て夕焼けの所為で。 “確かに可愛いね”―――――――――――告げた声。伸ばした手が黒い髪を一度だけ梳いて。 屈んだ身体。唇が、その額を掠める。 ハッとして、悔しげに額を押さえる越前を一度振り返って、不二は踵を返した。 ゆったりとした調子で校門へ向かう足が、ゆっくりと地面を踏むのは誰のためか、なんてよく判る。 押さえた額からは、何の痕跡も感じ取れない。 夕焼けが、夜に呑み込まれようとしている。 今、部室から出てきた彼の足の長さなら、すぐに追いつくだろう。 なんて、落日の悲鳴から身を逸らすしかないのに。 黒い街が見える。 沈みかけた日差しに、逆光になる街並みは漆黒の影絵。 校門の側を通り過ぎて、はみ出したように揺れる亜麻色。 先が、陽の下で透き通る。遠くては見えない。 後頭部を軽く打った重みは、薄い紙のソレ。 「帰るなよ」 「…お疲れ乾」 待ってるって言っただろ。そう言う癖、予想済みと言いたそうな口元。 振り向かずに、首を反らせて見上げて、同じように口の端を吊り上げる。 つい、と伸びた指先がその唇を軽く拭って、“見えた”とだけ告げた。 「ジェラシー?」 「の割にリアクション低いとか言わないのか?」 「言わないよ」 にこ、と微笑み首を自分の方へ傾ける。不二の足が止まったら、乾も暗黙の了解のように足を止めて、眼鏡越しに視線が絡む。 無言の要求。お互い様? 言葉もないまま、呼吸一つで眼鏡を外した乾の動作を見上げて、キスを待つように瞳を閉じる。 けれど唇には落ちずに、ソレは不二の額に降りた。 「……――――――――――――――――…なに今の」 「お互い様だろ」 もう一度、言葉にせずに“見ていた”と言う、乾の背が先をもう歩き出して。 夕焼けの所為で赤くなったのか判らない頬で、それを追った。 もう沈む。秒読みの空。 徐々に、橙の光が降りていた場所へ、暗闇が落ちてくる。 「魔が差したっていうの?」 「お前は何時も魔が差してるだろ」 「酷い。何ソレ」 「言葉通りだよ」 「乾だって何時も差してるだろ」 「魔に差されてるんであって受動的だ。お前とは違う」 「差別――――――――――――――――…」 むぅと、表情だけ拗ねてみせる。不二の頬に、沈んでいく日差しの代わりに影が掛かる。 「ね、結局手塚と何の話だった?」 「引継の。もうすぐだろ。引退」 「だと思った」 後少しなんだって。 冗談めかして笑う不二に。 そうじゃないだろうと言いたい。同じなので、言わない。 寄りかかれるフェンスも。月が照らすコートを見るのも。 後少しなんだと。 後少し。 『帰らないの?』 だからほら、―――――――――――――――魔が差した。 「早いよ」 「そうだな」 それが、乾の歩調を指していない事なんか明かで。 ふと合った視線。 速い足音が、道路を蹴る、ソレが。 近づいていることに、気付くのが遅れた。 乾の視線が不二から背後へと流れて。その矢先。 左手を強く掴まれて、後ろへ倒れそうになって何とか踏みとどまった不二の視界に、暗黒の街の影と、少年の顔。 「越―――――――――――――――」 唇に、確かにそこに重なったのは一度だけで。熱だけが移り、すぐに離れていく。 傍らの彼とは大人と子供ほどに違う少年が、不二を真っ直ぐに見上げていたのは一瞬だけで。 ふ、と口元は笑みに取って代わる。 言葉もなく、平然と不二の横を通り過ぎた黒髪が、何か呟いたのは判ったけれど。 不二の耳には届かなかった。振り返った先には駆けていく背中と。 沈みきった太陽。 瞬き始める星。 流れた風が、不二の髪を揺らして頬をくすぐった。 思わず、手の平の甲で拭おうとした不二の手を押し止めたのは、熱い体温。 大きな手の平が、不二の二の腕を押さえる。 見上げた先。乾の顔は、影になって見えない。もう夕陽はない。夜だ。 眼鏡を外した事だけを音で知って、眼を閉じないで待つ。 触れる寸前で眼を閉じて、深く重なってきた唇をただ受け入れた。 自分の行動が琴線を、弾く事なんか。判っていた。 ただ、欲しかったのは強い衝動。 予想外なのは、強すぎたあの彼の引力。 「………いぬい」 捕まえて、いてくれなければ困るだけ。君を好きでいたい。あのコートに立てる最後よりももっと遙か先まで。 『先輩は誰を見てるの』 だから、揺るがさないで。余裕の上辺に気付かれたら、立っていられないのは自分の方。 「――――――――――――――――……笑うなよ」 「なんでさ」 キスの合間に、なんでそんなことを言うんだろう。 問いたくても、出来ない。混ざる吐息。入り込んだ呼吸。 「あと」 「え? …、っ」 「“あと半年はあるよね”」 「……………」 通り過ぎ様にそう言ってたよ。 「さて、どういう意味だろうね」 白々しく告げる唇が繰り返す口付けを。 追って、繰り返して、白々しく、意味合いなんか無視をして。 夕焼けは、落ちるからこそ価値があって――――――――沈む間際が、綺麗なんだ。 「――――――――――――――――…じゃあね」 別れ道。細く長く伸びる影。照らすのは月光。 跡形もない黄昏の紅。空ごと闇色をした世界。 放せば、離れる手の平を放して。 もう一度だけ、お飯事のように額に落ちてきた唇に、引きつった笑いが零れる。 もっと、キスをして。 繰り返して。 夕焼けは沈むからこそ、価値があるんだと言ったその唇で。 |
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