◆サイダー◆
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四月始め。春の直中。 陽気がうざいと誰が言ったか。 「あれ、手塚。もう回ってきたの?」 三階廊下の中腹。 長方形の白い堅紙を手に、声掛けとほぼ同時で彼は真横にやってきた。 昼にはまだ早い陽気が、窓の外から木々の群を避けて差し込んでくる。 「最初にスタートするのは三年一組だからな。 お前こそどうした」 「僕? 僕は今レントゲン行ってきたとこ。英二待ってるんだよ」 「もう六組レントゲンまで回ったのか? 早いな」 手塚の横で話を聞いていた大石が驚いたように言えば、不二が違う違うと言って笑った。 何の話をしているかといえば四月恒例の健康診断だ。 青学では三年からスタートして一年が最後になっている。 「心電図混んでたからさ。先にレントゲン行っちゃったんだよ。 ほら、始点の聴力検査が済んだら自由じゃない」 「ああそっか」 「君達身長測定行った?」 「まだだが」 「じゃ一緒に行こう。僕と英二もまだなんだ」 そう不二が切り出し、断る理由もない手塚と大石が賛同の意を示した所で、駆け足と共に菊丸が戻ってきた。 「あれ、大石と手塚じゃん」 「菊丸、廊下で走るなと」 「いや手塚はいいから。大石なんで?」 「…英二」 あっさり“いいから”発言をされてこめかみが僅かに引きつった手塚と苦笑顔の大石を眺めて、菊丸は“一緒に行くとでも不二が言ったのかな”とクラスメートの顔を見遣る。にこりと微笑まれたので、当たりだなとも考えた。 「…………ねぇ、手塚君幾つ?」 ちょっと納得行かないものを感じつつ、不二は首だけを巡らせて問う。 生徒で適度に混み合った体育館でも、普段と変わりなく声は響いて数秒後には“なんだ”と振り返る彼の声がする。 「身長」 「178p」 「…また伸びたね君」 「お前はどうなんだ」 「……………やっぱ納得行かないなぁ僕。英二でさえ170行ったのに」 「行かなかったのか」 「さらりと要点述べないで。どうせ僕は160代止まりですよ」 (中学生で悲観する事でもないだろうが…) と冷静に思っても口で突っ込まない辺りが手塚だ。他の人間と大いに違うところは“言いにくいから言わない”ではなく“言っても意味ないから言わない”という点に限る。 「……おい」 「え? なに……あれ、乾じゃん」 手塚に促されてふと眼を動かせば、自分達が測定したのとは違う測定器の所で身長を測っている乾が見える。 「もう十一組スタートしたんだ」 「三年にもなれば馴れたものだからな。誰でも並びたくはないから早い方から行くんだろう」 「…てか」 見ている限り、やけに手間取っている。 測定する女性職員がやけに戸惑っている。 理由は、自ずと判る。 「……先生、乾が高すぎて目盛りが見れないでいるんですけど」 「椅子を使えばいいものを…」 「君って……言うと思ったけどさ」 そのうちに他の職員の御陰で解決したらしく、紙を持った乾が測定器から離れる。 周りの生徒にからかわれるのを軽くあしらいながら、ふと手塚と不二に気付いたらしい。歩が自然にこちらへと向いた。 「や、もしかしてまだ身長が終わったとこ?」 「もしかしなくても。君は変わらず先生泣かせだねぇ」 「見てたわけね」 「ばっちりじっくりと」 「手塚までね」 暇人じゃないの。なんて問い掛けて薄く笑う。 それは乾らしい仕草だったが、辺りが軽くざわめくのも感じられる。 何時も、彼の視界を覆っていた分厚い眼鏡が今日はない。 「視力検査用?」 「うん。コンタクトしてやっていいってからさ。 眼鏡は教室」 終わるまではこのままだよ。 そう呟く乾は背の高さと相まって如何にも知的な雰囲気に見せていたが、本人はやけに眠たそうだ。ついでに面倒そうだ。 大方コンタクト馴れしていないから違和感が付いて回っているのだろう。 手塚と不二においては慣れたものなので大したリアクションもついてこない。 「不二と手塚、次何処行くの?」 「視力行って、だね」 「ああ」 「じゃあ付き合っていい? 下宮心電図先行っちゃってさ」 訊く限り、乾はレントゲンと心電図はまだ行っていないらしい。副会長の名前を出されて、手塚は微かに“面倒な事を”と呟くだけだった。 がやがやと五月蠅くなってくる校舎内に、どうやら二年もスタートしたらしいという予測をしていれば、案の定廊下の端に桃城の姿が見付けられた。 海堂と顔付きあわせなきゃいいけどとあまり真剣でもなく思っている。 「おい不二、俺大石と心電図行ってくるけどどうする?」 「僕? 僕は乾が終わるの待って、貧血検査行くよ」 「了解。じゃな」 バイバイと手を振って、それから“だって”と手塚に意見を求めれば案の定“お前な”という顔をされる。 一瞬、廊下の方が騒がしくなって二人の居る教室に見覚えのある顔が二人入り込んできた。 「お前、なんでこっち来んだよ」 「先に測ろうと思ってなにが悪い。てめぇこそ真似すんじゃねぇよ」 「なんだとマムシ」 「あぁ? …………っ!」 パターンと言えばパターンなコンビ。しかし海堂は直ぐ様先輩二人に気付いて顔を色を変えた。 「部長…不二先輩…」 「え、あっ………! ………こんちは」 殊勝に振る舞っても今更なのだが。手塚が殊更静かに吐き出したため息に気付いたのはどうやら不二だけで、後輩は放課後の部活時での制裁にびくびくしているだけだ。 「もう二年スタートしたんだ。早いね」 「あ、ええ。つっても俺等レントゲンとかすっ飛ばして来ちゃってるんスけど」 「僕も心電図は飛ばしてるよ」 「あれ混んでますもんね。…って、じゃ先輩達何してるんですか?」 測り終わったんでしょ? そう問うてくるあたり、向こうで視力検査をしている乾が目に入ってないらしい。 笑いながら不二が指さして初めて、二人もその存在に気付いたらしい。 「なんだ、乾先輩待ってたんスか」 「うん。………でも、やけに時間掛かってない?」 「いや、適度なくらいじゃないのか?」 さらりと、予測外の事を手塚に返されて、不二は“はぁ?”と眉を寄せる。 掛かりすぎだと思うのだが。 そう思ったのが顔に出ていたのか知らないが、手塚は軽く口元を押さえて。 「プリントのミスらしい。今年はコンタクトが不可なんだそうだ。 先程外していたぞ」 「…あー、成る程」 納得。 見れば乾は、一番上の大きなモノを指されているにも関わらず、切れている箇所が判断付かないらしく指先が迷いまくっている。 「乾も相当視力落ちたね。あれは」 「夜遅くまで起きているからだ」 「夜遅くまで起きてやっていることが問題だと僕思うな」 徹夜はこの際関係ないし。 「乾先輩、もしかして眼鏡じゃないんスか?」 「今はね…。あ、終わったみたい」 踵を返してこちらへ向かってくる姿が見える。だがしかし、コンタクトをはめ直してはいなかったらしく、途中で人にもろに激突していた。 「……あた」 あれは小数点切ったな。 らしくもないなんて呟いて、苦笑混じりで不二は額に手を当てる。 何とかこちらへと辿り着いた乾が、コンタクトをはめ直した上で後輩二人に気付いた。 「二年スタートしてたんだ」 「先輩その言い方酷いっス」 「ごめんごめん。全然見えなかったもんで」 「相っっ…当…っ、下がったんじゃない?」 「不二、溜めるなそこで」 ジト目で返されてくすくすと笑う。 邪魔になるので廊下に出ながら答えを促せば、“予想に違わず”という声が上から降る。 「三年後辺りにはもっと眼鏡が厚くなってるんじゃないかと思うと自分でも鳥肌立つね」 「それ以上厚くなったら本当にビン底になっちゃうでしょ」 「止めてくれ。マジでガリ勉だろうそれは」 「否定要素はないと僕思う」 「ガリ勉は運動なんかしないんだよ」 「テニスガリ勉?」 「……もういい。お前と話した俺が馬鹿だった」 何処か脱力して呟き、二年コンビに“寄り道してていいのか?”と問う。 「あ、そうだった」 計ってないのに出てしまった。 気付いてから、三年組に軽く礼をして、一度出た教室に引き返していく。 二人を意味もなく見送ってから、“早く終わらせよう”と不二が言った。 次に回ったのは貧血検査だった。 男子は女子と違い、三年間受けなくてもいいのだが。三年生だけはどうしても受けなくてはならない。受ける年は違えど、大抵の中学はそうだろう。 そして、女子と違い男子はこういう時の法則をほとんどが知らない。 すなわち。 『若い人の場所には行くな』 こういう検査は、五人くらいの人の前に、自由に並んで受けるのだが。 若い人の場合、大抵下手だ。上手い人もいるのだが、結局下手な人が多い。 しかも大抵女の人なので、男子は出来れば若い女の人に採血して貰いたいものだろう。 そうして一回くらいは失敗されて注射痕が二つくらい残されたりする。 痛い思いをしたくないならベテランと思われる人の前に並ぶのが無難だ。 女子は三年にもなればその辺は判っているのだが、一年しか受けない男子に、判るはずも、ない。 「……、」 腕にしっかり二本、痕を残されて、憮然とした表情で手塚が椅子を立つ。 彼の場合別に率先して若い人の前に並んだわけではないのだが、ただ単に空いている場所を選んだらこうなったのだ。 視線の先では、姉からその辺を訊いていたのか、不二はベテランらしい人の前に座り、その横で乾が腕をまくっていた。 少しの痛みを堪えれば、あとは楽なモノで。はい終わり、の声に軽く礼をして席を立ち、不二は少し唖然とする。 「…乾、君僕よりかなり前にやってなかった?」 なんでまだ座って腕だしてるの。 怪訝な表情で問えば、僅かに眉を寄せた視線が返ってきた。 「好きでまだ座ってるんじゃないよ」 「じゃ、なんで」 「血が逃げる」 「は?」 「だから、血が逃げるらしいんだ。 かれこれ三本は刺されてるよ俺」 疲れた口調で言われて、思わず腕の方を見る。 今差し出している右腕をガーゼで押さえられ、まくったままの左腕には二つ丸いものが貼られている。 「というか、血管が細いみたいだねぇ」 採血している人にまで言われて、乾は不二と視線を合わせたままで小さく息を吐く。 気の毒だが、他人事だ。 結局、手の甲にまで注射器を喰らって帰って来た乾が、疲れたとばかりに手塚にのし掛かっていた。 |
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