03年3月2日 東野田(旧学舎跡地)界隈 藤尾芳男


工学部旧学舎のあった東野田界隈は今どうなっているのかなと、ふと思い立ってカメラ片手に出かけた。
寝屋川を隔てた南側のOBPには、仕事の関係などで何度も行ったが、こちら側は国道を車で通り抜ける程度のことはあってもこうして足をふみいれるのはもう何十年もなかったように思う。
色褪せて消えかかった記憶の痕跡を再び生き生きした思い出の風景として脳裏に甦らせられるか?

大阪から乗ったJR外回り環状線の電車を京橋駅で降りて、ホーム北側の端の階段を降りて行くと22、3台の自動改札機がずらりと並んでいる。

@ JR京橋駅 北口
改札を出るとその先がすぐアーケードになっていて商店街が続く。
この写真の手前の方で京阪電車京橋駅のコンコースとの間の広場につながっている。


京橋一番街と名づけられている商店街は、人とすれ違う時の距離(の無さ)感、店の間口、道の幅など、通学していた頃のスペース感覚と同じだ。
しかし、あのころからアーケードが設置してあったのかな〜。はやこのあたりから軽い浦島太郎気分になってくる。
京橋一番街の中 A

街の平面図自体が、再開発で変わってしまっていたら、以前の状態を思い出すのはとても難しいが、プランが変更されていなかったら、多少とも記憶の呼び戻し作業は楽になる。しかし、震災後よく気付くことだが、街路の変更はないのに、自分の住んでいる町のいつもの街角に以前どんな店や建物があったのかを全然思い出せないことがよくある。街の風景の記憶というのは、はかないものだ。

B 京橋一番街入口(国道側)
左は商店街を出たところ。

右は、環状線の橋。
"京街道"と書いてある。
向かって右が梅田方面。
国道1号をまたぐJR環状線鉄橋 C



下は、1号線を東に見たもの。このあたりの道路の両側に映画館がたくさんあった筈だが今は一軒もない。
タカラブネのところから(写真の)左へ長く続く京橋第一市場、京橋中央市場は健在だ。
京橋交差点から東方向を見る D


つぎは、1号線を西に見たもの。カメラを持って立っている場所の真上をJR環状線が走っている。
ここから3Kmほど西へ行ったところの"梅新東"交差点で、国道2号線と名前を変える。
京橋交差点から西方向を見る E

桜ノ宮方面に向かって歩くと、旧学舎のあとに作られたNTTの施設が、この道路から直接見えるところがある。
F 国道1号線から見通しになっているNTT施設の門
↑この門の場所は、当時の門の場所と違うようだ。

−−
↓左のところから1号線を東に見る。
  写真の左下に写っているバスの向こうに環状線。
左の写真の場所から1号線を東に見る
G

このあたりに来ると、土地勘がすこしもどってきたが、ビルの谷間に埋まっているようで、どうも"見晴らし"感覚がよろしくない。
しかし、逆に随分発展してきたと言うことになる。銀行、生命保険のおおどころはすべて軒をつらねている。
人口密度が、当時と比べ物にならないほど大きくなったということだろう。


下は、"東野田2東"交差点で、右の信号のところを入ると当時の東門(今は壁になっている)の前に出る。下校してくる高校生の女の子達の表情には何の屈託もない。
H 東野田2東 交差点付近





さて、旧学舎の表側、市電が走っていた通りはどのようになっているか。"ビルの谷間"化はそれほど進んでおらず、あのころのだだっ広さは今もそのままである。
下の写真が、かつての学び舎であった場所の今の姿で、左の4階建ての白い建物のところから、ネットの右の端までがそっくり大阪市立東高等学校の敷地となっている(昭和53年に建てた由)。
I 大阪市立東高等学校

東高等学校の正門の右手のフェンスに字の消えかかった小さなプレートがかかっていて、よくみると阪大工学部記念碑が中庭にあると読める。
これはこれは、と思って正門に戻ると校長名で"15:30以前の立ち入りはお断り"となっている。まだ、13:30ちょっと過ぎ。
公衆電話ボックスを探し、電話帳で番号を見つけて電話をすると、事務長とおぼしき方のOKが出て、おまけにわざわざ校門前まで出迎え、記念碑のところまで案内してくださった。
J 大阪大学工学部記念碑 校舎の本館を通り抜けた中庭で、植木のそばに記念碑がひっそりと立っている。
"元総長 岡田 実書"となっている。
じっと見ていると当時のことが、いろいろ思い出されてくる。記憶呼び覚まし効果は抜群だ。
記念碑の文字

校舎と道路をへだてた反対側の風景は右の写真のとおり。
市電が走っていたこの通りは、現在、市道赤川天王寺線と名がついている。このつきあたりで1号線と斜めに交差する

写真の左端に写っているのが東高校、右端に切れて写っている白いのが、都島区役所。
道のこの側については、さっぱり当時の記憶が浮かばない。
市道赤川天王寺線を西南の方向に見る K

でも、記念碑はなかなか楽しい発見だった。事務長さんの話によると、"ちょくちょく、卒業生の方が見えます。去年も70歳くらいの方が見て行かれました" とのこと。



ところで、JR京橋駅から国道1号線に出るのに前出の京橋1番街を通るほかに、京阪電車との間の広場を通って出るのがある。
L 京橋駅前広場の自転車
こちらのほうが人の流れの線は太い。自転車を使う人達、駅で客を乗降させるタクシーもここから出入りする。

急ぎの時に自転車の海を泳いで駅に入るには、体力(バランス力)と注意力が必要だ。

国道に出る手前に東西向きに一つの通りがある。あとで1964年版の地図を見てみると、この通りは当時京阪電車の線路が走っていたところだ。

700〜800mの区間にわたって、線路をぐっと南に寄せて付け替え、はずした跡が街路になったようだ。
京阪電車線路跡に出来た通り(a) M

線路跡にできた道を西へたどると地下鉄京橋駅の上の広場に出る(写真下右)。
N 京阪電車線路跡に出来た通り(b)
地下鉄の上(の地表)に沿って、その先の片町の手前でこの道はなくなる(終わりになる)。
京阪電車線路跡に出来た通り(c)- コムズガーデン(地上) O

通りの南側の町並みは、再開発されたうえに出来ているので、先ほどの国道一号線沿いにあるのとは一味違うデザインの店舗や建物が目に付く。ただ欧米風の店舗のデザインと歩道にあふれかえる自転車とはどうも相性が悪い。
P 瀟洒な美容院の前の歩道にも自転車がズラリ


つぎに、元線路の道を東にたどると、環状線の下を抜けて、京阪電車の現在の高架の下でやはり終わりになる(写真下右端)。

ということは、枚方御殿山での実習に行くのに利用していた京阪の京橋駅は、このパチンコホールのあたりにあったわけだ。
Q 京阪電車線路跡に出来た通り(d)- 旧京阪京橋駅跡のパチンコ店

なんという変わりよう。 ここまでくると、いちど直りかかっていた浦島太郎気分がかえって重症になってしまった。
3月はじめの日は傾くのが早く、赤い提灯にも灯が入り出したので、記憶の痕跡探索は、ここでひとまずおしまいとした。

あ〜、疲れた〜。

最後に、ここまで辛抱強く見てくださった諸兄に感謝します。 
このややこしい写真を見せられて、お疲れになった方々には、この場を借りて陳謝します。

いったいどこを写してきたのか、よくわからないではないかとおっしゃる諸兄のために、簡単なマップを下記します。各写真番号とその撮影地点、撮影方向を記入しています。 薄緑色のところが私達の学舎のあったエリアです。 

マップ



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